【永久保存版】国有化から5年。いまさら聞けない「尖閣諸島」

埼玉県在住の方が所有していた尖閣諸島が国有化されてから5年が経ちました。
国有化後は日本の海上保安庁にあたる中国の「海監」の艦船が毎日のように航行・侵入するなど、この5年で尖閣諸島を取り巻く事態は間違いなく悪化しています。
9月5日の産経新聞一面は、中国が尖閣諸島の上空にドローンを飛ばして撮影した動画や、海監が日本の海上保安庁に
「中国の領海に入るな」
「出ていけ」
とアナウンスをしている映像で国営放送の番組を作り、国民に「ウソ」を垂れ流していると報じています。
中国国営放送で尖閣のドローン映像放送 5月の領空侵犯、世論形成が狙いか
【尖閣諸島の歴史】
■明治28(1895)年 明治政府が日本の領土と閣議決定
尖閣諸島は明治28年、1895年、明治政府によって閣議決定を経て、日本の領土になりました。
決定までに明治政府は現地調査を何度も行って誰も住んでいないことを確認し、清(現在の中国)など近隣諸国にも照会しますがいずれからも占有を主張されなかったため「無主」の島として先占の法理(=国際法に基づく領有権取得の方法)で日本の領土としました。
それ以降、ある時期まで清国もその後の中華人民共和国(中国)も一度として領有権を主張したことはありません。
(出典『今さら聞けない「尖閣諸島」』)
■明治29(1896)年 明治政府は沖縄県・古賀辰四郎に貸与、カツオ節やカンヅメ製造が営まれる
閣議決定の翌年に明治政府は沖縄県の古賀辰四郎氏に国有地の借用を許可し、古賀家の人などが移り住んでカツオ節や缶詰の製造をはじめました。
(出典『今さら聞けない「尖閣諸島」』)
これらの事業は明治から大正、昭和と続けられましたが、
■昭和15(1940)年 古賀家が事業継続を断念し離島
戦争が始まり戦火が厳しくなった昭和15(1940)年ころに古賀家は事業の継続を断念して島を離れました。
しかしそれまでは尖閣諸島に日本人が住み事業を行っていた事実に間違いはありません。
昭和20(1945)年に日本は敗戦をむかえ島は無人状態ですが、カツオ節工場などは風化した状態でまだ残っています。
私自身も平成24(2012)年8月19日に尖閣諸島・魚釣島付近まで出向き確認しました。
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2012年08月24日【新「週刊・中田宏」】 尖閣諸島・魚釣島からの迫真の現地レポート
■昭和44(1969)年 国連アジア極東経済委員会「尖閣周辺に石油が埋蔵」と報告
そして大きな転機が訪れます。
昭和44(1969)年に国連アジア極東経済委員会が「尖閣諸島周辺に石油が埋蔵している」という報告書を出したのです。
■昭和46(1971)年 中国は初めて領有権を主張
この2年後の昭和46(1971)年に中国は初めて尖閣諸島の領有権を主張し始めました。
こうした歴史事実はしっかりと頭に入れておきましょう。
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尖閣諸島 年表
明治28(1895)年 明治政府 日本の領土と閣議決定
明治29(1896)年 明治政府 沖縄県・古賀辰四郎に貸与、カツオ節やカンヅメ製造が営まれる
昭和15(1940)年 古賀家 事業継続を断念し離島
昭和44(1969)年 国連アジア極東経済委員会 「尖閣周辺に石油が埋蔵」と報告
昭和46(1971)年 中国 初めて領有権を主張
平成24(2012)年 日本 国有化