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人道支援に尽力していた中村哲医師 銃撃死

先週大きく報道されました、医師でNGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲さんがアフガニスタン東部のジャララバードを車で移動中に銃殺されました。銃撃した武装勢力は現場から逃走し、今のところ行方がわかっていません。イラクとシリアにまたがる地域で活動するイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の犯行が疑われています。

中村さんは今から36年前の昭和59年(1984年)にパキスタンに赴任してハンセン病などの医療活動に従事し、その後、アフガニスタンに活動の拠点を移して活動してきました。アフガニスタンでは赤痢や腸チフスにかかった子供が母親に連れられて、遠路からも受診をしに来ていたそうですが、これらの病気はその後治療すれば治る可能性も高いのですが、アフガニスタンでは栄養失調や体力低下などで亡くなる人が多かったそうです。

そうしたことから、診療所で患者を待って対応するという医療行為に限界を感じ、そもそもの原因は何かと考えたときに、清潔な食べ物と水が必要だと考えたそうです。アフガニスタンは干ばつも多く、飲料用の井戸1600本、かんがい用の井戸13本、そして平成15年から7年かけて全長25キロという長い用水路を1本完成をさせました。最終的に用水路は27kmまで延長されました。中村さんは「100の診療所より1本の用水路を」と言って70歳を過ぎた蓮でにも関わらず、最近まで用水路建設に汗を流していました。

アフガニスタン政府から昨年、勲章を授与され、亡くなった翌日には駐日アフガニスタン大使館がHPに下記のコメントをを発表しました。

私達は、中村哲医師が乗っていた車が狙撃兵によりナンガハール州で狙い撃ちにあい、病院で亡くなられたニュースを聞き、大変悲しみに包まれています。中村医師のボディーガードと運転手を含む5人が亡くなりました。
中村医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。彼の献身と不断の努力により、灌漑(かんがい)システムが改善され、東アフガニスタンの伝統的農業が変わりました。
アフガニスタン国民と政府は中村医師の功績に敬意を表し、ご家族、同僚の皆様、ご友人、そして日本国民の皆様に謹んで追悼申し上げます。

※灌漑:水路を作って田畑に必要な水を引き、土地をうるおすこと
アフガニスタン大使館HPより

アメリカとタリバンが和平交渉を進めているという情報もありますが、ISはそのままですから、今後急速に治安が良くなるとは考えにくい状況です。

さて、中村さんは、いわゆる護憲派でした。憲法9条を擁護し、自衛隊の海外派兵に否定的な立場でした。しかし、ニュースの映像を見てもわかる通り、現地は治安が悪く、中村さんとて活動場所に向かうには、銃を持ったボディーガードに守られなければならないほどの治安でした。
しかし、そんな中でも行動しているということは本当に立派なことだと思います。

「平和」と口だけの主義者とは違い。行動してきた中村さん。
心から敬意を表し、哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。

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