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「尊厳」に思いを馳せた、2つのこと

最近ニュースで時々「強制不妊手術」という言葉を聞きます。
本人の同意なしに強制的に不妊手術するということです、聞くだけでゾクゾクっとする感覚を覚えます。

この言葉がよく聞かれるようになったのは1月30日以降で、この日、宮城県内に住む60歳代の女性がある裁判を仙台地裁に起こしました。
「15歳の時に強制手術された」
ということで、手術された理由はかつて「優生保護法」という法律があったからです。
こ優生保護法は昭和23(1948)年に制定、戦後の食料不足の中で人口をコントロールしよういうことで、
「優生上の見地から、不良な子孫の出生防止(大辞林第三版より)」
などの目的で強制不妊手術がなされました。

実は欧米などでもこのような法律がありましたが順次に改正され、日本でも1996年に母体保護法に改正されましたが、それまでの間、1万6000人を超える男女が強制不妊手術をされました。
当然、障害者に対する偏見や差別を生むことになりましたし、いわば
「国が法律で認めていた」
と言えます。

こんなことを考えていた折、2月10日には作家の石牟礼道子さんが亡くなったという記事に接しました。

石村さんは昭和44(1969)年に作品『苦海浄土-わが水俣病』を発表。
当時、熊本県水俣市に相次いで起こった公害「水俣病」を世の多くの人が知るきっかけとなりました。

水俣病はチッソという化学会社が有機水銀を海に排出していたことに起因していますが、亡くなる方や偏見・差別を生み、地域感情が分断されることにもなりました。

水俣市は現在では環境系のNGO(非政府組織、Non Governmental Organization)が選ぶ「日本の環境首都コンテスト」で総合1位すなわち環境先進の自治体です。
水俣市が水俣病によって個人の尊厳が奪われ地域社会が崩壊をしたことから長年、環境保全に努めてきた結果です。

これらの件に限らず歴史を遡って
「あれは非常識だった」
「失敗だった」
「馬鹿だった」
とするのは簡単です。
しかし犠牲になった方々は個人の人生をめちゃくちゃにされたわけですから、私たちはそこに思いを持ちつつ、”社会として”教訓にしていかなければなりません。

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